認知症ゼロ社会実現へ、世界初の研究拠点創設 東北大学
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大学ジャーナルonline 2017.05.29 UPDATE
東北大学は、2017年4月1日付けで、認知症の超早期二次予防、一次予防の確立を目指す、世界初の研究組織「スマート・エイジング学際重点研究センター」を創設する。
” 日本は先進国中、最も高齢化の進んだ超高齢社会(高齢化率27.3%、2016年9月現在)で、認知症人口は認知症予備軍を含め現時点で800万人以上と推計されている。認知症による経済的損失は、医療費・介護費など年間14.5兆円に上ると試算され、認知症予防対策の社会的ニーズは極めて大きいとされている。このような超高齢社会では、「スマート・エイジング=一人ひとりが、時間の経過とともに、高齢期になっても健康で人間として成長し続け、より賢くなれること、社会全体としてより賢明で持続可能な構造に進化すること」が求められ、その実現に向けた研究推進が必要とされている。”
「社会全体としてより賢明で持続可能な構造に進化すること」、が、認知症をゼロにすることなのでしょうか?
私にはそうは思えません。
最初に私の考えを書くならば、われわれが目指すべきは、認知症であっても、よく生きることができる社会、ではないでしょうか。
上記についてはいろいろ感じることがあります。
まず仮に、今後、認知症についてすばらしい予防法・治療薬が発明されるとします。
さて、それにより認知症は、根絶されるでしょうか?
私はそうは思いません。(まぁしばらくはむしろ増えるでしょう)。
医学の歴史を見れば明らかであるように、人類はこれまで長い時間をかけて、各種がんや脳血管疾患や肺炎などと戦ってきています。
しかしご存知の通り、ゼロとは程遠い状態です。
認知症だけがうまくいったりすることを想定することは、無理があると思います。歴史に学ぶべきでしょう。
そんな状況で、我々が目指すべきは、その起こりえない状況=認知症を患う人がゼロの社会、なのでしょうか??
そうではないのではないでしょうか。現実的に、行くべきでは。
我々が当面目指すべきは、認知症の人でも、そうでなくても、よく生きることのできる社会ではないでしょうか。
そもそも、仮に将来ゼロになるにしても、それまでの間、認知症の人およびその家族などは、結局置いてきぼりではないでしょうか。
その一方で、「社会として、認知症をゼロにします!」と宣言された負の効果が私はとても気になります。
この宣言は、認知症のスティグマ(差別)化を助長する動きではないでしょうか。
「社会からゼロにします!」と言われたものにポジティブなイメージを持つ人はおそらくあまりいないでしょう。
ご存知の通り、すでに認知症と診断されている人は日本にもたくさんおられます。
その方たちは、自分が「社会からゼロにします!」と言われている病気になったことを、どう感じるでしょう。
「やったぁもうすぐ治るのか!」と前向きに解釈できる人はいいかもしれませんが、社会から排除されている・社会の荷物になっているのかなぁなどネガティブな気持ちになるのではないでしょうか。
話を冒頭で紹介した、私の結論に戻します。
私は、われわれが目指すべきは、認知症であっても、よく生きることができる社会であると感じています。
認知症であっても、よく生きたい。
それは、人間として、当たり前の希望であり、保証されるべき基本的な人権ではないでしょうか。
社会には、認知症=もう何も会話も判断もできない、変なことをする、怖い、などなど多くの偏見があると思います。
認知症の方に接した方ならわかるとは思いますが、認知所の方が皆そうではないし、仮にそういうことがあるとしても、そういう時とそうでない時がある場合のほうが多いのではないでしょうか。
(余談ですが)一方で、現実社会には、認知症ではない人でも、会話も通じないし、不適切な判断をする人が、たくさんいることは、皆さんご存知の通りです(苦笑)
なぜ、認知症にはそのような偏見があるのでしょうか。
その理由の多くには、認知症についての適切な知識の欠如、経験の欠如があると思います。
知識や交流がないからこそ、きわめて偏った情報を基に、差別を持ってしまうのだと思います。
社会がゼロにすべきは、認知症の人ではなく、認知症についての適切な知識を有していない人や、認知症の方と交流したことがない人の人数ではないでしょうか。
例えば義務教育の中で、認知症をはじめとしたさまざまな社会的な困難を持ち生きている人と交流する場面を取り入れるべきではないでしょうか。
私が上で書いた「認知症でもよく生きる」なんて、なに夢物語を(現実を知らない大学の学者さんですね)、と思う人もいるかもしれません。
実は私もその一人でした。
しかし、地球上で、すでにそのような政策が実行されていること、そして、その現場の様子の話を聞き、考えが大きく変わりました。
認知症の対策として、スコットランドは、living well with dementia(認知症とともに、よく生きる)という方針で動いているそうです。
https://www.gov.uk/government/publications/living-well-with-dementia-a-national-dementia-strategy
詳細は割愛しますが、スコットランドでは、認知症を患っている人自らが動き出し、社会に訴えかけ、研究者と一緒に研究を行い、認知症であっても快適に過ごすことができる社会を作ろうとしているそうです。
*詳細は、ETV特集『認知症とともに よく生きる旅へ』で放送されており、内容はネット上でも多く記録がありますので、興味ある方は「ETV特集『認知症とともに よく生きる旅へ』」などで検索してください。
最後にもう一度書きます。
社会が向かうべきはどちらでしょうか?
認知症をゼロにする社会?? それとも認知症へのスティグマをゼロにする社会?
私にはその答えはあまりに明らかなように思えます。
ゼロにすべきは認知症の患者数ではないでしょう。
社会としてゼロにすべきは、認知症へのスティグマであり、認知症についての適切な知識がない人や認知症の人と交流がない人の数ではないでしょうか。
さらに言えば、目指すべきは、認知症に限らず、多くの属性(年齢・性別・人種・国籍・性的思考性などなど)に由来するスティグマもゼロにすべきではないでしょうか。
多様性を受け入れることができる寛容さを育めるスマートな社会にすべきではないでしょうか。
結局、だれにとっても、息苦しくない社会になるんだと思うんですけどね。
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坪谷透
東北大学大学院歯学研究科 助教、博士(医学)、医師
タイムリーに関連する記事がありましたので、ここでシェアします。
http://digital.asahi.com/articles/ASK5Z4KFQK5ZUBQU00R.html?iref=com_apitop
”認知症に関する各国の民間団体でつくる「国際アルツハイマー病協会」は同日、行動計画について「認知症を恐れるのではなく、病気を理解し、認知症の人を支える社会に変われるまたとないチャンス」と評価する声明を出した。同協会は、世界で3秒に1人が認知症になっていると推計。その多くが適切な診断や支援をうけられない状況にあると指摘している。”
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坪谷透
東北大学大学院歯学研究科 助教、博士(医学)、医師
以下の動画お勧めです。
MEDプレゼン2016@仙台/いずみの杜診療所/山崎英樹
https://www.youtube.com/watch?v=7LqMlSw-uyk
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